行事紹介
10月7、8日の2日間にわたり、毎年行われている秋旅行を実施しました。今年は、初めての試みとして、「東日本大震災の記憶と復興の現状」を学ぶため、例年観光バスで回ることができる関東近辺を離れ、新幹線で宮城県まで赴き、宮城県内の震災遺構と復興状況、自衛隊の災害救助・復興支援について主に研修しました。今年も例年と同様に1泊2日で行われ、理事長先生・寮長先生をはじめとして事務局の古沼さんと太田さん、寮監先生・寮母さん、寮生22名を加えた総勢28名が参加しました。
初日はまず、東日本大震災当時、統合復興支援部隊の司令部が置かれた陸上自衛隊仙台駐屯地を訪れました。基地に到着してから直ぐに防衛省の広報担当の方々から、震災当時の自衛隊の活動、現在の日本を取り巻く諸外国の脅威や安全政策についてのブリーフィングを受け、日頃あまり考えていない私たちの危機意識が改まりました。最近の大陸情勢の影響もあってでしょうか、質疑応答の時間には寮生が積極的に日本の状況や政府の政策について意見を交換していました。昼食は基地内にある自衛隊の方々も利用される食堂で自衛隊の広報担当官の皆さんと一緒に頂き、自衛隊の内情や大学の話に花を咲かせていました。
次に一行は、千年希望の丘と旧荒川小学校に向かいました。千年希望の丘は震災前には往宅街として多くの市民が生活していましたが、日常を一瞬で津波に奪われたくさんの犠牲者が出た地域でした。その恐ろしさを後世に伝えるための記念碑や鎖魂の鐘、将来の備えとして造成された避難丘を見学し、おのおのあの日に思いを馳せ亡くなった方々に向けて黙とうを捧げました。また、震災遺構として当時のまま保存されている旧荒川小学校では、津波を受けて上砂が流入してきた教室跡や津波のエネルギーを受け止めきれずに大きくひしやげたベランダの手すりなどの大震災の爪痕が生々しく感じられました。
次に、バスで一時間ほど走行して、次なる目的地の南三陸防災対策庁舎へ向かいました。大震災での津波の恐ろしさを表すモニュメントとして有名な防災対策庁舎は、周囲の造成工事のためにあまり近くから見ることはできませんでしたが、暗い曇り空の下で鉄骨だけになりひっそりと佇むその姿は寮生に強い印象を与えました。新築された防災庁舎に移動し、当時あの防災庁舎で津波の披害を受けながらも生還し、現在も復興に力を注いでいる南三陸町長にお話を伺いました。講和の中で繰り返し口にされていた「下ばかり向かずに一歩でも前に進んでいくこと」というフレーズが、日々復興へ進んでいく南三陸町の人たちの原動力になったように思われました。初日の日程をすべて終え、宿舎に到着した一行は夕食の後の自由時間に先輩後輩混ざり合って親睦を深めました。途中から仙台市出身の卒寮生・56期星太輔さんも激励に来られ、一日の思い出を振り返りました。
2日目は初日とうってかわって気持ちの良い秋晴れとなり、絶好の秋旅行日和となりました。まず最初に、震災当時に自らが大きな被害を被った航空自衛隊松島基地を訪問しました。津波によってブルーインパルスを除く主力航空機に大損害が出た松島基地でしたが、いち早く牧助計圃を立てて助けを待つ住民のもとへ向かって行った記録映像を拝見し、自衛隊の皆さんがいかに国民の生活を支える礎になっているのかを痛感しました。基地内の資料館では実際のパイロットの方々が着用している加圧スーツや整備服などが試着でき、写真撮影をするなどして楽しむ寮生もいました。また、震災後にかさ上げされた格納庫や滑走路の状況を見学したり、ブルーインパルスを間近に見たりすることができ、良い体験でした。
その後、石巻市に移動し、石巻が生んだ漫画家、石ノ森章太郎の作品を収蔵する石ノ森漫圃館を見学したり、石巻の魚介を用いた海鮮丼を堪能したりしました。旅の終盤には震災の被害に遭われた語り部の方からバーチャル技術を使った震災の記億を風化させない取り組みや当時の街並みと復興の進展状況を詳細に学ぶことができました。旅の最後は日本三景の一つである松島を駆け足で観光し、披災地研修の締めくくりとなりました。
今回の研修では6年という月日が過ぎた今でも忘れられぬ当時の思いや津波の恐ろしさ、また、復興やこれからの発展に携わっている方々から直接体験をお聞きできる良い機会となりました。失われつつあるあの日の記億を風化させてはいけないということが深く胸にしみた有意義な秋旅行であったように思われます。今年も旅行費用の一部を松尾育英会から支援いただき、ありがとうございました。