不定期ではありますが、先輩方から社会的経験、学問などについて、後輩に聞かせたい話を講演して頂く機会を持っています。
実施年月日 | 期 | 講 師 | テーマ |
---|---|---|---|
H7.9.19 | 1 | 渡辺 俊一 | 都市計画学者への道 |
同 上 | 8 | 神山 秋史 | 1円入札事件の背景 |
同 上 | 10 | 小野寺 一雄 | 新聞社における国際化とは |
H7.11.20 | 19 | 酒井 新吉 | 科学技術分野の情報処理業について |
同 上 | 24 | 吉田 成行 | マーケティング&プランニングからプロデューシング&コンサルティングへ |
H8.4.22 | 1 | 東樹 茂夫 | 私の歩んできた道 |
同 上 | 3 | 中野 良顕 | 子供の臨床仕事 |
H8.6.11 | 2 | 山田 俊治 | コンピューターと共に高度化する生産システム |
同 上 | 20 | 中里 友則 | 都市交通問題と駐車場 |
H8.11.21 | 13 | 星野 茂夫 | 松尾育英会育英生の頃の思い出 |
H9.4.21 | 20 | 朝浦 幸男 | 社会保障の新たな展開 |
H9.5.19 | 2 | 皆川 真孝 | 笹川グロバール2000 |
H9.7.12 | 13 | 東樹 茂夫 中野 良顕 |
松尾育英会の理念 |
H9.9.24 | 18 | 細溝 清史 | 大蔵省の仕事 |
同 上 | 28 | 宮地 茂夫 | 在寮時の思い出 |
H9.11.14 | 34 | 大木 憲一 | 松尾寮の思い出と青年海外協力隊(マラウイ) |
H9.11.19 | 31 | 川上 明夫 | 糖尿病の臨床について |
同 上 | 31 | 菊池 顕行 | 信託銀行の業務 |
H10.1.15 | 33 | 鎗目 雅 | 国連大学への留学 |
H11.6.12 | 29 | 堀内 保秀 | ネットワークすること |
H11.11.6 | 22 | 川原 一信 | 日本企業の海外進出と必要とされる人材像 |
H11.12.11 | 34 | 吉國 選也 | 留学経験をふまえた人生の選択 |
H12.9.9 | 15 | 八木橋 英男 | ソフトウェア革命 |
H12.11.11 | 21 | 雲 治雄 | エネルギー資源の流通 |
H13.6.9 | 20 | 三澤 浩司 | 企業年金と信託 |
H13.11.10 | 15 | 伊藤 聖 | 行政官としてのこの20数年を振り返って |
H14.10.5 | 2 | 山田 俊治 | 知的生産システムプロジェクトを通してみた日本の製造業の課題 |
H14.11.2 | 2 | 皆川 眞孝 | アフリカの食糧増産問題を考える |
H15.5.31 | 37 | 牧野 剛 | 「自分は何をしたいのか」を考えるためのフレームワーク |
H15.11.1 | 39 | 中村 慎二 | 弁護士業の現状と今後の課題 |
H15.11.29 | 29 | 櫻井 清一 | 農産物流通から広がる世界 |
H16.10.30 | 36 | 中村 輝政 | Dealerの仕事 |
H16.11.27 | 18 | 林 剛久 | IT産業の変遷―メインフレームからユビキタスへ |
H17.6.25 | 35 | 工藤 善也 | ITによる業務改革の最前線 |
H17.11.26 | 8 | 十市 勉 | 21世紀のエネルギー問題を考える |
H18.6.24 | 34 | 高着 敦史 | 地方銀行の現状と未来 |
H18.10.21 | 26 | 猪野 肇 | 企業で使われているコンピューターシステム・他 |
H19.5.26 | 特別講師 | 石橋 慎二 | 人事の眼 |
H19.11.17 | 25 | 隅野 正広 | 広告クリエーティブと学生時代の過ごし方 |
H20.7.1 | 41 | 是川 夕 | これからの行政・政治のあり方 |
H20.10.25 | 27 | 工藤 誠 | システム開発の理論と実際 |
H21.5.30 | 1 | 渡辺 俊一 | 出世の方程式 |
H21.10.24 | 21 | 増田 康裕 | 松尾育英会と私の仕事 |
H21.11.28 | 2 | 皆川 眞孝 | アフリカへの農業技術支援 |
H22.5.22 | 25 | 武村 典美 | お掃除ロボット |
H22.11.27 | 34 | 高橋 義之 | 仕事力の磨き方 |
H23.11.26 | 40 | 高祖 大樹 | 弁護士の役割 |
H24.5.26 | 22 | 川原 一信 | 海外勤務で得たこと、感じたこと |
H25.10.19 | 25 | 福丸 伸一 | 海外留学・これから身につけておくべきこと |
H25.11.30 | 31 | 三反園 哲治 | 新聞記者・海外生活の経験から |
H26.5.31 | 41 | 是川 夕 | 社会学を学ぶ・生かす |
H26.11.29 | 42 | 横田 達也 | 薬学研究からパイロットへ |
H27.6.27 | 27 | 宇山 智哉 | 国際関係に携わって |
H27.10.31 | 12 | 笠原 忠 | 医薬品創製と医薬品産業の動向 |
H28.5.28 | 40 | 小柳 明大 | 鉄道関係の仕事 |
H28.10.29 | 14 | 工藤 康紀 | 東日本大震災・福島第一原子力発電所事故後のボランティア活動の事例 |
H29.6.24 | 12 | 加藤 晴洋 | ベンチャー企業とシリコンバレー |
H29.11.18 | 35 | 工藤 善也 | 本格的な人口減少社会の逆風に晒される次の四十年。育英会の現役生の視点から、生き残りの道を探る。 |
H.30.5.26 | 53 | 高岡 良平 | 働くということ |
H.30.12.1 | 11 | 窪野 鎮治 | 社会保障改革に携わって |
R1.6.29 | 22 | 沼田 伸二 | 都心の再開発への取り組みについて |
R1.10.26 | 58 | 林 聖悟 | インフルエンサーの時代に生きるということ |
R3.6.26 | 41 | 是川 夕 | 日本における移民政策の可能性と展望 |
R3.11.27 | 47 | 藤真 健司
林 裕之 |
サラリーマンと学生の違い。会社に溶け込むために必要な事、できた方が良い事 コンサルタントとは? |
R4.6.25 | 51 | 山内 絢人 |
地域の可能性を事業化し、次の時代の豊かな社会を築く |
R4.10.29 | 39 | 中村慎二 |
大手法律事務所における弁護士とは? |
ゼミの内容は、吉國さんの國学生時代や寮生活のことから、イスラエル留学、さらには敬虔 なクリスチャンである吉國さんの宗教的経験のお話まで、非常に幅広いものでした。我々が普段知ることの出来ないイスラエルという国の実情についてのお話 は、滅多に聞けるものではない大変価値あるものでした。また留学経験のある吉國さんのお話は、寮生の中でも特に留学生の皆にとってかなり有用なものだった ようです。寮生の中の幾人かのクリスチャンの人とも活発に会話が交わされていました。
イスラエル留学などを経て、講演時は(株)教 文館に勤められているという珍しい経歴を持つ吉國さんの、多彩な経験に基づいたお話は、我々寮生の狭くなりがちな視野を大いに広げてくれたと思います。ゼ ミの最後に、将来は布教活動に従事したいと語っておられた、吉國さんの熱い口調が、今も脳裏に残っています。この場を借りて、寮生一同、心からの感謝をお 伝えします。
雲さんは、講演時(株)三 井物産のエネルギー本部にお勤めで、一般的にはあまり知られていない石油や天然ガスなどエネルギー資源の発掘や流通について詳しく語ってくださいました。 また、金融界のことにも精通されていて、デリバティブなどの金融商品の取り扱いについて生の情報を聞くことが出来ました。
講義の最後に、商社が求めるのは即戦力であるから、学生時代には英語を初めとする外国語を勉強するのは言うまでも無く、その他の講義も漫然と聞き流さず、ビジネスという観点からそうした講義を消化する必要がある、と極めて価値あるアドバイスを頂きました。
三澤さんは、講演時中央三井信託銀行にお勤めで、企業年金や信託について詳しく説明して いただきました。信託銀行にとって、資産運用・資産管理業務が経営の柱で、その市場の中核が企業年金なのだそうです。また、大企業になればなるほど企業年 金は巨大になって来るので、信託銀行と大企業が最も密接な関係を築ける業務だそうです。現在は、信託業務と銀行業務を両方やっている信託銀行ですが、将来 的には銀行業務はやめて信託業務だけになるそうです。
普段、こういった現場の声を聞くことが少ない寮生にとって、有意義な時間をすごすことが出来ました。
伊藤さんの言葉は、二十数年に渡る官庁生活で培われた「真《の声であった。旧郵政省時代 から現在までの仕事内容の説明の後、これから社会に巣立つであろう寮生に向けてとても参考になるメッセージがあった。それは、「出会いを大切にし、その中 でどこまで自分の人生に生かし切れるか《、というものである。
この言葉は、激務の官庁生活を通して社会を生き抜いてきた人間の「生《の声であり、真実である。出会いの中で何を学びとっていくか。人と の触れ合いのなかでは、大学で学んだ学問が役立つことは保障されていない。むしろ、そこで試されているのは、それまで出会いを重ねてきたなかで築き上げた 「自分《なのかもしれない。
我々寮生が今後どのような人生を歩むかは個々人に委ねられている。数十年後、松尾育英会の後輩、また自分の職場の後輩に「活きた《言葉を与えることが出来るようになりたい。
山田さんは、1997年から2002年の3月まで株式会社山武でIMS(知的生産システム)プロジェクト国際幹事業務に係っていらっしゃったそうです。 今回は、IMSプロジェクトの概要と、プロジェクトを通して感じた日本の製造業の長所と短所について御講話いただきました。
IMSプログラムは大まかに言うと、製造業を環境と人に優しいものにするとともに、ITを徹底活用してより効率的な製造システムを創ろう というもので、国際的な協力関係の下でさまざまな研究が為されているそうです。システム工学の最先端についての話題は非常に興味深いものでした。
また、マネジメント能力やIT活用力の上足といった製造業が抱える問題点について実際の現場経験に基づいたお話を聞けたことは、これから自分が何を学ぶべきかについて考える上でよい参考になりました。
非常に有意義な時間をありがとうございました。
皆川さんは、東海銀行にお勤めになった後、講演時は笹川アフリカ協会の事務局長をなさっていらっしゃるそうです。 今回は、米国アトランタにあるカーター・センターの「グローバル2000《と笹川アフリカ協会が共同で推進している事業である「笹川グローバル2000《についてご講話いただきました。
「笹川グローバル2000《とは、アフリカの貧困問題が飢餓やテロの温床となって 世界発展の重荷になる危険性に対処するため、アフリカの食糧自立を目指すプログラムだそうです。具体的には、農業政策がおろそかになりがちな政府への働き かけや、これまで高価なためアフリカの農民は使わないと言われてきた化学肥料や改良種子を実際に使わせて農民に効果を実感させたり、農業普及員を育成する などして近代的な農法を普及させる活動を行っているのだそうです。
地理的に遠いこともあり、あまり意識することの無いアフリカが抱える問題と、それに対して現在行われている取り組みについての分かりやすい説明をありがとうございました。
牧野さんは平成9年に一橋大学社会学部を卒業後、アンダーセンコンサルティング株式会社(現アクセンチュア)に入社され、化学産業の企業に対して業務内容の効率化などのコンサルティングをなさっているとのことでした。
ゼミは、「『自分は何をしたいか』を考えるためのフレームワーク《というテーマで、2時間以上に渡って、人生における仕事の意義などにつ いて話をしていただきました。牧野さんの「仕事って何だろう?《という問いかけは、実社会に出て働いた経験のない学生にとっては、これからの進路を考える 上で非常によい勉強になりました。また、寮生の頃の思い出などを交えながら気さくな語り口で話して下さったため、終始和やかな雰囲気で進み、多くの質問が 飛び交い非常に有意義な時間を過ごすことが出来ました。
中村さんは、講演時アンダーソン・毛利法律事務所にお勤めで、今回は御自身のお仕事の内容と今後の弁護士業についてご講話いただきました。
アンダーソン・毛利法律事務所では主に外国の企業が日本で事業を行うときに生じる法律問題を扱っておられるそうで、その中で講演時中村さ んがなさっているのは、海外の企業が株式を日本の投資家に売りたいときに必要な法的手続きの代行や、その際のアドバイスをする仕事だそうです。
中村さんの仕事が弁護士本来の仕事と違うように、弁護士が提供するサービスは多様化・複雑化してきており、取り扱う法的問題の種類や範囲 は飛躍的に拡大しているそうです。また、今後も更なる領域の拡大と専門化が見込まれているそうで、法律以外のさまざまな分野の知識が必要になってきている との事でした。
普段私たちがイメージするのとは違った弁護士の仕事について聞けたことは非常に参考になりました。
中村さんは一橋大学の商学部を卒業した後、親和銀行に入行され、講演時は証券国際部のディーラーとして外為や株に関した仕事をなさっているとのことでしたが、講義のテーマも「Dealerのお仕事《というもので、 約1時間にわたり中村さんの日々の仕事の内容を、世界の情勢を交えつつ、詳しく聞かせていただきました。
また就職活動に関して、「将来について明確なヴィジョンを持つこと《と「理想像を追うために、仕事を変えることを厭わないこと《という、これから社会に出ることになる寮生には貴重なアドバイスもいただきました。
ゼミは、終始和やかな雰囲気で行われ、最後には多くの質問が飛び交う有意義なものとなり、寮生には非常に勉強になったと思います。
林さんは東京大学を卒業した後、日立製作所に就職され、講演時は日本電気との合弁会社でネットワーク機器の設計・製造等を扱っているALAXALAという会社の役員としてご活躍とのことです。 講義は、「IT産業の変遷―メインフレームからユビキタスへ《というテーマで、林さんの経歴を追いながら、電子・情報分野の今昔と、働くことの意義について聞かせていただきました。
特に、「サラリーマンは仕事と上司は選べない《、「エンジニアは教科書にないものを作るのが仕事であるから、仕事にはまることが大事《、 「5年がんばれば一流に追いつける《という、林さんの実体験から得られた貴重な教訓・言葉が印象に残りました。また、国内外の企業の構成なども教えてくだ さり、将来企業に勤めるかも知れない、特に理系の寮生にはためになったと思います。今回のゼミは、これから社会に出る寮生が、将来を考える上でとても参考 になるものでした。寮生は非常に刺激を受けたものと思います。
工藤さんは慶應義塾大学理工学部のご出身で現在は日本総合研究所に勤めておられます。
今回のゼミでは「ITによる業務改革の最前線《というタイトルで、工藤さんが担当しておられた投資信託の話を皮切りに 日本経済の構造変化や問題点を、経済学専攻者がいない寮生にもわかりやすく解説してくださいました。 「文系理系の壁に捕らわれるな《といったお言葉や、「相手への無意識の差別に気をつけろ」「とにかく相手の話を聞け」「トラブルを避けるな《という 「決定的ピンチへの対処法《はこれから社会に出る寮生にとっての貴重な教訓になりました。 またゼミの最後にユングの精神分析による人間の性格類型を紹介され、寮生には寮生活を通して自分のものとは異なる人格 の要素にも触れておくようにというアドバイスをいただきました。
その後の質疑応答では寮生から情報やコンピュータに関する質問やITによる農業の改革に関する質問などが飛び出し、 活発な議論が行われました。
十市さんは財団法人日本エネルギー経済研究所にお勤めで、MITに客員研究員として留学された経験もあるそうです。
今回のゼミは「二一世紀のエネルギー問題を考える《と題して、主に石油などの化石燃料を中心としたエネルギー問題についてお話頂きました。 現在の石油の使用状況や二酸化炭素の排出量、また、将来予想される推移やその対応策、 そしてその対応策の問題などを、市場、技術、環境、国際関係などの様々な視点から詳しく説明して頂きました。 エネルギーや環境問題というものは規模が大きいために、ひとつの分野では扱いきれず、 議論の際にはさまざまな分野の研究者が集まるそうです。 また、対応策も、単純にその問題を解決するためのものではなく、 社会全体のシステムとして機能するようにしなければならないそうです。 現在、寮生の中にはエネルギーに携わる分野を専攻している者もおり、ゼミ終了後も熱心に質問していました。
高着さんは、講演時福岡銀行にお勤めで、地方銀行が現在抱えている問題と打開策について講演していただきました。
現在、都市銀行間の大型統合などの影響を受け、地方銀行は生き残りをかけて様々なプランを模索しており、試行錯誤を重ねているということ でした。 その中で、先輩が強調しておられた点は、「いかに地方銀行の有利な点を活かして、付加価値(他行との差)をつけていくか《ということでした。 そこで今注目を集めているのが、地方銀行が長年の付き合いの中から築いてきた「地縁《を活かして、新しく進出しようとしている顧客(この場合は企業)にそ の土地の情報を伝えるといった「ソリューション営業《というプランです。 寮生には、こうした独自のプランで地方銀行の未来を切り開いていこうとしている先輩の目がすばらしく輝いて見えたのではないかと思います。
猪野さんは、講演時東洋ビジネスエンジニアリング(株)(B-EN-G)にお勤めで、今回は「企業で使われているコンピューターシステム・他《と題して会社の業務やご自身が取り組んでおられる仕事の内容、 更には、就職する際の心構えなどについてお話いただきました。
東洋ビジネスエンジニアリング(株)は主にコンサルティング業務、 具体的にいえばERPを基盤として経営コンサルティングやITコンサルティング等のサービスを製造業の会社に提供している会社だそうですが、 ご本人は現在会社の情報セキュリティ関係や広報等の仕事を担当されていて、今回のゼミにも猪野さんが作成されたパンフレットを配布資料としてご持参いただきました。 近年、社会からの個人情報を主とする情報保護に対してニーズが強まっており、猪野さんもこの難しい問題に苦労されているとのことでした。
さらには、業務を進めるに当たっての大事なスキルや就職先を選ぶに当たって重視することについて、貴重なアドバイスをいただき、 普段このような話を聴く機会が少ない寮生にとって有意義な時間となりました。
石橋さんは、法政大学のサッカー部でチームを何度も日本 一に導いた後、全日空横浜サッカークラブで活躍。全日空グループの人事部門等にお勤めになられた後、株式会社富士プロジェクトの役員に就いておられ、現在 はクーバー・コーチング・ジャパンの代表として、子どもたちに対するサッカーの指導法として世界的に有吊なクーバー・コーチングを取り入れたサッカース クールを日本のみならずアジア各地に作り、サッカーを通じて青少年の健全育成に努めておられます。
今回のゼミのテーマは「人事の眼《ということでしたが、当日はそのテーマにとどまらず、石橋さんが全日空の人事部に勤務しておられた時代から現在に至るまでの様々な経験をふまえた、人生の先輩としての寮生に対するアドバイスをお聞きすることができました。 石橋さんは寮生に伝えたいこととして、次の三点を挙げられました。 ①決められた規則を守り、勉強する。 ②人を思いやり、感謝の気持ちを持ち続け、常に謙虚に人間形成に励む。 ③絶対に対価を求めてはならない。報いはいずれ自分に返ってくる。 これら三点は松尾育英会の基本理念にも合致する大切なことです。寮生一同、人生の先輩からのアドバイスを心して受け止め、松尾育英生としての自覚を更に深めたゼミとなりました。
大鶴さんは、東京大学法学部を卒業後、厚生省に入省され、現在は厚生労働省年金局年金課にお勤めで、今年六月からは年金記録問題への対策のために、社会保険庁にも併任になっておられています。
今回のゼミでは、ここ数年話題になっている年金問題について、 ①公的年金制度について ②平成十六年度年金制度改正について ③今後の課題 の3つをポイントに、制度の仕組みやその目的、現状やこれから年金制度がどうなっていくかについて詳しくご講義をいただきました。 基礎年金の国庫負担割合を平成二十一年度までに現在の36.5%から50%にまで引き上げなくてはいけないことが平成十六年度年金制度改正以降で残され た重要な課題で、相当に困難な仕事であるというお話や、年金の紊入方式を現行の方式から税方式に変えるべきではないか、という意見があることなど、年金制 度についての理解をより深めることの出来る内容でした。
講義後の質問の時間には、年金受給額の水準についてのものなど、かなり鋭い質問も飛び、寮生の年金制度への関心の高さを感じました。 大鶴さんも、年金制度の仕組みが国民によく理解されていないということを言われていましたが、寮生にとって、今回の講義はより深い理解に繋がっただろう と思います。
隅野さんは東京大学工学部を卒業後、株式会社「電通《に就職され、現在は広告の表現製作を行うクリエーティブ局でご活躍されているそうです。
今回のゼミでは「広告クリエーティブの仕事と学生時代の過ごし方《というテーマでご講演をいただきました。隅野さんはこれまでに200本 以上のCM製作を手がけられ、ゼミでは実際に日本国内だけでなく世界中で放映されたCMの数々をスクリーンに投影しながら、製作にまつわるエピソードや苦 労、経験などをお話しいただきました。また今から振り返って学生時代にもっとやっておけばよかったこととして、 ① 英語のコミュニケーション能力を高めること ② 専門に捉われない幅広い分野に興味関心を持つこと ③ 学生時代に豊富な経験をすること の三点を挙げられました。
講演後の質疑応答では寮生から数多くの質問が飛び交い、非常に有意義な時間を過ごすことができました。そして寮生たちは隅野さんのアドバイスにあった「幅広い視野を持ち、さらに充実した学生生活を送ること《を心したようでした。
是川さんは、東京大学文学部を卒業後、同大学院の修士課程を修了され、2003年に内閣府に入府し、現在は経済財政担当の政策企画専門職をなさっているそうです。 また2006年から2年間、アメリカのUniversity of California, Irvineに留学され、前月末に帰国したばかりとのことでした。 今回のゼミではまず、是川さんが「知的な事柄を通して、社会貢献する《という目標のもと、人口学を勉強し、国家公務員を志望なさったというお話をしてくださいました。
次に、行政官の立場から、「これからの行政・政治のあり方《、「あるべき経済社会の仕組み《についてご講義いただきました。その内容は、 ① 公共性が立法にではなく、行政に求められているところに日本の行政の特殊性があること ② 行政は公共性・中立性ではなく専門性・客観性を追求すべきであること ③ 市場が公共性を担おうとする「公共性の危機《が起きていること などについてでした。
最後に、是川さんから寮生に向けて、就職後に夢や目標を失わないように、個人目標だけではなく、大まかな全体像としての目標を立てることの大切さと、それが世の中を良くすることにつながる、というアドバイスをいただき、寮生にとって貴重な指針になったと思います。
工藤さんは東京工業大学を卒業後、朝日新聞社に入社され、現在は社内システムエンジニアとしてご活躍なさっているそうです。
今回のゼミでは、工藤さんが2001年4月から2006年8月まで携わられた、朝日新聞の中央管理システムを再編するプロジェクトである『朝日新聞ATOMシステム構築』における「システム開発の理論と実際《について講義していただきました。 その内容を大きく三つに分けると、 ① システム開発の方式概説 ② ATOMシステムプロジェクトの各段階における考察 ③ プロジェクトを通じて得た教訓 というものでした。
講義後、寮生から出た、新聞や新聞社の未来についての質問には、変化していく新聞の形式や新聞社の新しい一面などについて興味深い回答をいただきました。
今回の講義により、今まで知ることのできなかった新聞メディアの実際の現場について、寮生の見識が深まったことと思います。
渡辺さんは東京大学を卒業後、米国留学、 東大助手を経て旧建設省に入られ建築研究 所室長等経験された後、東京理科大学教授 になられました。 そして、現在はNPO法 人「日本こどものための委員会《の理事長 としてご活躍なさっているそうです。今回のゼミでは「出世の方程式《という 発題で、渡辺さんが実際に体験したことと、 そこから導かれた理論について講義してい ただきました。その内容は ① 出世する技 ② 人事が行われている事情 ③ トップになった人間の心構え 等組織人として知っておくべき「常識《に ついてでした。
講義では、建築研究所時代に経験した人 事の実態や人事のルール、出世するという ことの意味やトップになった時の権力とい うものに対する付き合い方などをお話しし ていただきました。内容の一つ一つがとて も深くこれから社会に出て組織の中に入っ ていく寮生にとって非常に興味深いお話を 聞くことができました。今回の渡辺さんの講義で、今までは知る ことのできなかった組織人の常識や心構え を知ることができ、寮生の見識が大きく深 まったと思います。
増田さんは東京大学経済学部を卒業後、日本債券信用銀行に入行され、十六年間勤めら れました。その後、小売業の経営企画を経験され、大学の研究機関に入られた後、投資 ファンドの日本みらいキャピタルへと転職されました。松尾育英会の卒寮生としては珍 しく、数多くの転職経歴をお持ちの方です。
今回の先輩ゼミでは「松尾育英会と私の仕事《というテーマで、増田さんが仕事をなさっていく上で、松尾育英会の卒寮生との繋がりが非常にプラスに働いたということを 、体験談を交えて話していただきました。人から請われて新規事業に取り組むことも多 く、自身も新しいことが好きな増田さんですが、「自分の仕事一つ一つや、そこでの出 会いを大切にしてこそ、次の仕事につながる。《とおっしゃっていたのが印象的でした 。ゼミ後の寮生からの質問も活発になされ、人生の先輩としてのアドバイスをたくさん いただきました。人と人との繋がりの重要性をしっかりと見つめなおすことのできた、 非常に有意義な先輩ゼミでした。
皆川さんは東京大学法学部を卒業後、東海銀行に入行され、主に国際部門に従事されました。 銀行退職後、世界で活動された経験を糧に、笹川アフリカ協会の事務局長として12年間、アフリ カへの農業技術支援に取り組まれました。
今回の先輩ゼミは、皆川さんが笹川アフリカ協会の一員として、アフリカでの農業技術支援に携 わられたことを中心にお話していただきました。皆川さんは、なぜ支援の対象がアフリカなのか? という理由として、人道的観点・テロの温床となる上平等の是正・先進国に対する輸出国になることへの期待があるとおっしゃっていました。 皆川さんの講義の中で非常に印象に残ったのが「援助物資を無償で提供しているのでは根本的な貧 困の解決にならない。技術を教え、種や肥料を自ら購入してもらうことが真の問題解決に繋がる。《 というお話です。この積極的に動き、自発的に挑戦していく姿勢が成功に繋がるという考えは松尾 國三先生の教えに通ずるものがあると感じ、心に強く残りました。ゼミ後の質疑応答も農業支援に 関するものにとどまらず、銀行員時代の話など、皆川さんが今まで経験されたことを色々と話して いただき、寮生にとって新たな発見がある有意義なものでした。
日本も食料自給率の低さなど、農業問題が山積です。そういった状況の中で、僕たちはどのよう に問題に立ち向かえばいいのかを考える、良いきっかけにもなったと思います。
武村さんは東京大学工学部を卒業後、ニコンに二十年間勤められた後、FIGLAに 転職なされ、現在ではそのロボット事業のメカ開発部門に勤められております。今回の先輩ゼミは、現在武村さんが取り組まれている「お掃除ロボットの開発《 をテーマとして、開発されたロボットについてのお話と、それに対する質疑応答という形で行われ、非常に双方向的なゼミとなりました。お話の中でも特に、ロ ボットの開発における理想として、人間との共生について話されていたのがとても印象的でした。まずロボットが人の仕事を奪ってしまうことの無いよう、住み 分けをすることが大事であるというのが一点。そして、同じ空間で過ごす人間とロボットが互いに配慮できるようにするというのが二点目です。そのためにはさ まざまな機能が必要となるため、今後、病院などの医療機関への進出を実現するためにはどのような改善が必要か日々考えているとのことでした。今回の先輩ゼ ミでは、機械分野の現場で働く方の貴重な意見を伺えただけでなく、福祉医療の分野についても考える良い機会になりました。
高橋さんは大学を卒業後、三井住友銀行に就職され、転勤を何度か経て現在はリスク管理な どを専門とされています。 今回の先輩ゼミは、「仕事力の磨き方《というテーマのもとで、高橋さんが社会人になってから実際に体験してきたことや、仕事に対して持っておられる考え をうかがいました。
まず、仕事をするうえでは人間関係が必要上可欠であると強調されました。会社員として働く中で他分野にわたるような難問に直面したとき、他の部署と迅速 に連携をとって取り組む力が重要になるそうです。この力を育てる取り組みの一例として挙げられた、個人の勉強より同僚との関係形成に重きを置くという三井 住友銀行の新人研修のお話は大変興味深いものでした。 また、仕事に成功するための条件として、成功へのイメージ作り、ワーストケースへの備え、そして直観力を挙げられました。特に直観力に関しては、単なる理 屈にとらわれず、いろんな物事に対して瞬時に正しい判断をする力が必要であるとされました。これは失敗を含めた自分のさまざまな経験によって得られるもの であり、それを得るためには失敗を恐れずに何事にも思い切って挑戦する姿勢が大事だとおっしゃられました。
今回の先輩ゼミは、激動の時代に金融業界の第一線で活躍された方のお話をうかがえたことに加え、私たちが将来社会人になったときの心構えについて考える いい機会となったという点でも大変有意義なものでした。
今回の先輩ゼミでは、弁護士の業務は多岐に渡ること、高祖さんはなぜ高校時代から夢見ていた研究職を途中で諦め、弁護士になろうと決意したのか、そして、私たちがこれから社会に出ていく上で、どのようにして自分に付加価値をつけてゆくかというお話でした。
まず、弁護士の業務は、私たちが思い浮かべる裁判における弁護士としての役割はもちろんですが、法律のプロフェッショナルとして企業取引 のお手伝いをするなどの業務もあるということです。また、普段私たちは刑事裁判のニュースを通じて、弁護士に対してネガティブなイメージを持ちがちです が、民主主義国家として、弁護士の役割は必要悪になろうとも、絶対に必要な社会システムであると述べられました。そして、なぜ高祖さんが長年夢見ていた研 究職を諦めたのかは、「自分自身研究職に向いていないと感じた《からであるそうです。その上で心機一転弁護士を目指し、現在活躍なさっていることを踏まえ て、私たちに「自身に付加価値をつけることが社会で活躍する条件です。その第一歩は語学です《という具体的なアドバイスをしてくださいました。
川原さんは一橋大学を卒業後、旭硝子に就職し法務部を経て現在は社長室経営企画グループに所属されています。また、ペンシルバニア大のロースクールに通い、ニューヨーク州での弁護士資格を得ておられます。
今回の先輩ゼミでは、川原さんの二年間に及ぶ韓国駐在時の業務内容と駐在から受けた印象をレジュメに沿って一つずつ説明をされた後、寮を卒寮してから現在に至るまでに形成された人生論を語っていただきました。
駐在時の業務内容として、現地の子会社を実質的に清算する仕事を担当され、合弁パートナー、組合との折衝の経緯や内容、その事前準備としてのTOB(テイクオーバービット)の実施、最終工程としての資産売却等の話がありました。
その後、川原さんの人生経験から、寮の後輩へのアドバイスとして、「10年後、20年後等の到達点(目標)を実現するために、どの時点で何をするかをスケジュール化し、その時点のハードルを越えるために努力すること《、 「机に座って本を開くことや実験室で実験をすることだけが勉強ではなく、人の話を聞き、あるいは自分の意見を他人に伝えて違う考えがあることを知ることも大切な勉強であること《、「精神的余裕があることも大切なことであり、 その精神的な余裕を生み出すためには遊ぶことも大事であること《、「一般教養を広く学んで人間性を磨くこと《の大切さを教示して下さいました。
今回の先輩ゼミは、法律を学び、様々な切り口から社会へのアプローチを試みている先輩の重みのあるアドバイスによって、私たちが将来社会人になったときの心構えについて考えるいい機会となったという点で大変有意義なものでした。
福丸さんは、東京大学農学部を卒業後、政府系金融機関である商工中金に就職し、現在は資金証券部長としてご活躍なされています。
今回の先輩ゼミでは、在寮しておられた頃の福丸さん自身の体験談をお話していただいた後に、留学、仕事、人事の三つについて福丸さん自身の体験をもとに講義をしていただきました。
福丸さんは、英会話能力を身につけるため、大学在学中から、ラジオで毎日英語を聴くといった地道な努力を積み重ね、入社後は会社の留学制度を利用して、 二年間ロサンゼルスのカリフォルニア大学に留学なさったそうです。その経験から、留学するために必要な英語の試験勉強だけではなく、中身のある会話ができ ることが大切であると、英会話の大切さを改めて示してくださいました。
仕事に関しては、金融機関に勤めるのに大切なこととして、「仕事への興味《、「人と接すること《、「こまめな情報収集《、の三つを挙げて説明してくださ いました。また、支店長のころの経験から、上に立つものとして部下を組織として目的に向かわせるためには、部下のモチベーションを上げることが一番重要で あるなどといった、文系・理系問わず興味を持つことができるお話をしてくださいました。
最後に人事部研修室長をしておられた経験から、会社に勤めてから成功する人は「誠実《「向上心《「報・連・相《の三つを意識できる人であるということを 教えていただきました。特に強調されていたのは、今の若い人たちにはコミュニケーション能力が上足しているために、「報・連・相《がきちんとできていない 人が多いとのことでした。
今回の先輩ゼミでは、これからグローバル時代を生きていく私たちにとって欠かせない留学の話や、将来社会人になって、仕事をする際に必要となる心構えについて考えるいい機会になったという点で、寮生にとって大変有意義なものとなりました。
三反園さんは、東京大学文学部を卒業後日経新聞社に入社し、現在は証券部の編集委員としてご活躍されています。
入社後の初めの2年間は、吊古屋支社で愛知県警の記者クラブに配属され、様々な事件についての取材を行われたそうです。3年目から配属された東京本社の 証券部では、自分の書く記事によっては、資金の流れに影響を与えることもあるため、非常にやりがいのある部署であると共に、責任のある部署でもあるとお話 しされておりました。
三反園さんは、1999年から4年間、特派員としてニューヨークでお過ごしになられたそうですが、現地での暮らしぶりや仕事について興味深いお話をされた後、自らの経験を踏まえて、英会話能力の重要性を改めて教示して下さいました。
最後に現在の新聞の課題として、若い人達の新聞離れや、インターネットの普及による紙から電子版への移行などについて、分かりやすく説明して頂きました。
今回の先輩ゼミでは、普段知ることのできないような新聞記者の仕事や海外での生活について、大変貴重なお話をして頂きました。
5月31日、第四十一期生の是川夕さんをお招きして、「社会学を学ぶ・生かす《と題した先輩ゼミが行われました。是川さんは東京大学大学院卒業後、内閣府に入府され、現在は国立社会保障・人口問題研究所で研究者として活躍されています。
今回の先輩ゼミでは、ご自身の大学院や海外留学で学ばれたことや内閣府での仕事、日本の社会科学教育や私達がそれぞれの仕事の内容に対してどのように向き合っていくべきかなどについてお話しいただきました。
講義では、内閣府時代に、東日本大震災時の被害額を想定されたことや、現在研究しておられる日本が移民を受け入れた際の人口の推移や問題点等といった具体的な仕事の内容を紹介してくださり、普段私たちの知ることのできない業務内容のイメージをつかむことができました。
また、私達は仕事に対して、与えられた仕事をこなすだけの「エンジニア《でなく、自身で糸口を見つけて新しい型を生み出してゆく「アーティスト《である べきで、「信念/信仰」・「専門知識」・「現場・ネットワーク《を良い仕事の三要素として意識するべきだと示唆されました。
今回の先輩ゼミは、研究職を目指す寮生だけでなく、全ての寮生にとっても自身の社会人像を考えるよい機会となりました。
11月29日、「薬学研究からパイロットへ」というテーマで、第四二期生の横田達也さんによる先輩ゼミが行われました。横田さんは東京大学薬学部、大学院薬学系研究科を卒業後、自社養成パイロットとして日本航空に入社され、現在は副操縦士としてご活躍されているという異色の経歴を持っていらっしゃいます。
横田さんは大学時代、勉強にも遊びにも大いに取り組まれていたそうですが、薬学研究科での過酷な研究生活を目の当たりにし、進路に迷う毎日を送られてい ました。そんな時手元に取って置いていたJALからのDMがきっかけとなって、パイロットの道へ進まれることになったそうです。
ゼミ自体は横田さんのフランクな語り口に終始和やかな雰囲気でしたが、「やらずに後悔するなら、やって後悔しろ《、「情報網は常日頃から張り巡らす《と いったお言葉、さらに研究生活を貫きながら難関のパイロット採用試験に通るといったエピソードからは、何事にも本気でぶつかっていかれる横田さんの信念の 強さを窺い知ることができました。
「チャンスはどこに転がっているか分からない」、そんなこれから社会に出る私たちの背中を押すような、貴重な教訓を頂くことができた先輩ゼミとなりました。
6月27日、第26期生の宇山智哉さんをお招きして、「国際関係に携わって」と題した先輩ゼミが行われました。宇山さんは一橋大学を卒業後、外務省に入省、米国スワスモア大学(政治学専攻)に入学・卒業され、以後三十年余り、経済外務を中心に外務省で活躍されています。
今回の先輩ゼミでは、ご自身が実際に携わった仕事、外国生活についてお話しいただきました。宇山さんは、これまでガット・ウルグアイラウンドの交渉、WTOサービス貿易交渉、EPA交渉(フィリピン、タイ、韓国、インドネシア)などに携わり、現在G7サミットや漁業関係の交渉、中南米外交についての業務などに携わっています。 講義では、「外務省とは?」から始まり、ご自身がこれまでに携わった在外勤務、G7サミット、貿易交渉、大使館経済部という外務省での業務、政治と経済(エジプト、韓国、フィリピン)、外国生活(ジュネーブ、エジプト、フィリピン、韓国)について紹介してくださり、普段私たちの知ることができない国際関係という大きな世界での仕事について知ることができました。
日本に住む私たち寮生にとって、国際関係の場で働く宇山さんのお話は新鮮で、興味深く拝聴しました。寮生からの質問も活発で、実りのあるゼミでした。また、ご自身の進路を決める際に八期の先輩にお世話になったというお話もあり、松尾育英生同窓生の強い繋がりも感じました。
10月31日、「医薬品創製と医薬品産業の動向」というテーマで、第十二期生の笠原忠さんによる先輩ゼミが行われました。笠原さんは東京大学薬学部を卒業後、同大学院薬学系研究科にて博士号を取得され、自治医科大学医学部助教授、共立薬科大学教授、慶應義塾大学薬学部教授を経て、現在は国際医療福祉大学大学院教授という経歴をお持ちになっています。また、慶應義塾大学名誉教授でもいらっしゃいます。
今回の先輩ゼミでは、超高齢化社会の日本と医薬品の開発との関わりや、創薬の過程について、また、バイオ医薬品や抗体医薬といった最先端の医薬品開発についてお話していただきました。短い時間ではありましたが医薬品創製に関して詳しく理解することができました。また、今年度ノーベル医学生理学賞を受賞されました北里大学の大村智さんの研究について、開発される医薬品の特許料だけで病院が建設されたなどの時事に沿った話題も出て、とても興味深いお話を聴くことができました。
講義を受け、これからの日本や世界を担っていく世代として、この超高齢化社会や経済不振に対する興味関心を持つこと、あるいはどのように対処改善したらよいか考えることの重要性を改めて認識する良い機会となりました。
5月28日、40期生の小柳明大さんをお招きして、『鉄道関係の仕事』というテーマでの先輩ゼミが行われました。小柳さんは東京工業大学で電気工学を学んだ後、二00二年にJR東海に就職され、現在は送電系の仕事をされています。
今回の講義では『鉄道とは』というところから始まり、人の関わる仕事が多い中で、安全を第一として営業を行う仕組みなどをお話いただきました。また、ご自身が経験された様々な仕事を中心に、JRの歴史や現在の鉄道業の課題、将来のリニア新幹線の仕組みや運営などもお話いただきました。さらに、これからの日本の鉄道の海外展開に向けての課題や、その目的などにも触れていただきました。
中でも、仕事の中での危険予知や上司や部下との関係など、寮生誰もが将来の参考になるようなお話もあり、寮生の誰もがゼミの内容に引きつけられていました。
寮生は皆、鉄道を通学に使っているので大変身近なテーマでしたが、鉄道には私たちが知らない様々な側面があり、寮生はいろいろな角度から講師に質問をぶつけましたが、どんな質問にもわかりやすく答えて下さり、多くのことを学ぶことができました。
今回の先輩ゼミは、寮生が普段何気なく使っている鉄道や、就職した後の自分たちの姿に関して考える良い機会となりました。
10月29日、「「東日本大震災・福島第一原子力発電所事故後のボランティア活動の事例」というテーマで、第14期生の笠原忠さんによる先輩ゼミが行われました。工藤さんは東京工業大学理学部物理学科を卒業後、同大学院にて博士号を取得され、地元の大分県で高校の教員を11年、大分高専の教員を23年間務められました。昨年の3月に定年退職となった後は、福島高専で教鞭を執っていらっしゃいます。
今回の先輩ゼミでは、工藤さん自身が東日本大震災・福島第一原子力発電所事故を受けて行った福島の現状や、実際に工藤さんが行っているボランティアについて詳しく聞かせていただきました。地震や原子力発電所の事故を受けて、どのような思いに駆られ、福島へ行くことを決めたのか、そしてボランティアをする上でどのような苦労や壁があったのかを具体的に教えてくださいました。ボランティア活動とは基本的に「自己完結・自己責任」であるということ、単純な労働だけではなく仮設住宅の人々の心の支えとなるような活動もしていることなど、とても興味深く、ためになる話を聞かせていただきました。
講義を受け、自分が受けた恩を社会に返す一つの形としてボランティアがあり、初めは敷居が高くとも、まず一歩を踏み出すことが大切であることを学びました。今回の講義は、これからの日本を担う上で何をしていかなければならないのかを考える、貴重な糧となりました。
6月24日、12期生の加藤晴洋さんをお招きして、『ベンチャー企業とシリコンベレー』というテーマでの先輩ゼミが行われました。加藤さんは東京大学で機械工学を学んだ後、NECに就職され、現在は東京大学産業協創推進本部イノベーション推進部の特任研究員をされています。
今回の講義では大学闘争の波に呑まれた波乱万丈の学生時代の話から始まり、就職先での安定志向が高まる中で新事業の創造にいかに携わるかなどをお話いただきました。また、ご自身がNECの社内留学で実際に米国に赴いて体感したことを中心に、日本におけるイノベーションの課題、ベンチャー事業を基とした起業についてなどもお話いただきました。起業におけるリスクとリターン、ビジネスモデルや会社の将来像をどう見据えるかを第一線の方から聞くことができる非常に貴重な機会となりました。
中でも、ベンチャーでの起業にどのような魅力があり、自己の力をどう生かしていくかという寮生誰もが参考になるようなお話もあり、寮生は皆ゼミの内容に引きつけられていました。
企業や役所で定められた役職を務めていくだけでなく、起業によって自身でビジネスを創出していくという内容には、新たな視点を与えられた寮生も多く、いろいろな角度から講師に質問をぶつけましたが、どんな質問にもわかりやすく答えて下さり、多くのことを学ぶことができました。
11月18日、35期生の工藤善也さんをお招きして、『本格的な人口減少社会の逆風に晒される次の四十年。育英会の現役生の視点から、生き残りの道を探る』との演題で先輩ゼミが行われました。工藤さんは慶応義塾大学理工学部数理学科において確率論と統計解析を専攻した後、住友銀行に就職され、現在はPwC総合研究所に所属しコンサルティングの仕事をされています。
先輩ゼミでは、現在の人口減少社会における銀行の動向に始まり、コンサルティングの仕事についてお話していただきました。日本ではITの浸透が海外に比べ遅いことを取り上げ、ITと金融など複数の得意分野を持つことで、自分だけができることを生み出したり、自分の得意分野で今後40年利益を生み出すことができるか、考えたりすることの大切さを強調されていました。
とりわけ印象に残っているのは、私たちが近い将来直面するかもしれない不安についてです。これさえやれば人生上手くいく、という旨い話は全て嘘です、と語る工藤さんの話は20年間金融の仕事をしてきた重みがありました。
また、情報技術の進化の歴史と技術革新の波から、今後の将来予測に関してもお話しいただきました。現在第五コンドラチェフの後退局面にあることから、逆風を迎えても生き残れるよう、少しでも今後の人生設計について考える必要性を感じました。今回の講義は、将来就きたい仕事について考え、今できることを模索する貴重な機会となりました。
5月26日、53期生の高岡良平さんをお招きして、『働くということ』というテーマでの平成30年度第1回先輩ゼミが行われました。高岡さんは横浜国立大学で経営学を学んだ後、野村証券に就職され、現在はウィリス・タワーズ・ワトソン株式会社で経営コンサルタントの仕事をされています。
今回の先輩ゼミの講師は、今までと少し趣が異なり、卒寮からかなり期間が経って人生経験豊富な方ではなく、卒寮して間もない若い先輩として、現在の寮生の気持ちが分かる兄貴分的視点から、卒寮後の就職や働き方に役立つ内容や心構えを率直に語って頂きました。
講義では、野村証券になぜ就職したか、証券会社の仕事とはどのようなものかということから始まり、野村証券での理不尽で非効率的な仕事の内容等を話していただき、若いうちは理不尽な仕事でも折れないで努力することの大切さを教えて頂きました。
特に、企業が求めている人材は、その人の持つスキルではなく、どんな環境でも頑張ることのできる情熱のある人間であり、若いうちに一度はその様な環境に自分の身を置いてみることも有りだというお話しは、これから就職する企業を選択する上で大変役に立つ内容でした。
また、現在仕事をされている企業コンサルトの仕事についても、中小企業主に対する退職金制度を作るという新しい分野にチャレンジしているというお話を聞き、野村証券での経験が転職先でも非常に役に立っているということを感じることができました。
今回は、先輩ゼミのオブザーバーとして、55期生の豊福一樹さんも参加していただいたので、高岡さんの講義の後に豊福さんの仕事である中小企業基盤整備機構についても話していただきましたが、時間があっという間に過ぎ、質疑応答の時間もほとんどなくなってしまいました。
そこで、寮長先生から若い先輩と寮生との懇親の場を設けたらどうかというご提案とご芳志を頂いたので、場所を食堂に移して、軽食を取りながらざっくばらんに色々な質問に答えて頂きました。
今回の先輩ゼミは、卒寮間もない先輩から就職してすぐに味わう苦労話を色々な角度から聞くことができ、この学生寮で生活する心構えを再考する良い機会となりました。講師を引き受けて頂いた高岡さん、豊福さん、どうもありがとうございました。
平成30年12月1日、11期生の窪野鎮治さんをお招きして、『社会保障改革に携わって』というテーマで平成30年度第2回先輩ゼミが行われました。窪野さんは、東京大学法学部を卒業後、大蔵省(現財務省)に入省され、年金制度改革、社会保障制度改革などの私たちも知っているような大きな改革に携わってこられました。現在は、カーディフ生命保険株式会社特別顧問を務めておられます。
講義では、まず社会保障制度の変遷について説明していただき、その後、成果ともいえる1982年から85年の年金制度改革、92年から95年の社会保障制度改革などについて貴重なお話をいただきました。
教科書で習うだけで終わってしまうような内容も、どうすれば社会全体のためになるだろうかという松尾國三初代理事長先生の教えを彷彿とさせるような動機のもとで、直に関わってきたからこそ分かる苦悩や努力といったものを教えてくださいました。
話題の絶えない年金問題や社会保障問題について、なぜ現在のような状況になったのかを現代社会としての知見も交えつつ懇切丁寧に解説くださり、それぞれの政策にこめられた狙いというのが読み取れました。
80年代・90年代のことではありましたが、その時に予想していた結果が現在、実際に現れていたり、今もなお継続していたりして、その時にはその時の事情に対処し、さらに先のことまで見据えていかなければならないことの大変さを知ることができました。
それに関連して触れられたこれからの制度は、私たちも大いに関係のある内容であり、保険や損保などにまで派生してお話がありました。社会はこれからどうしていくべきなのか、どうなっていくと良いのかを考えるにあたり、大変有用な内容であり、将来について考えるきっかけとなりました。広い観点での講義は、社会を動かしていく側の視点と、社会の一員としての視点の両方から捉えていて、どちらの側
面においても、社会に出て私たちがどう動くかの大きな助けとなり得るものだと思います。
また、今後の課題として、医療制度についても話題にされました。寮生にも関心の高い内容であったようで、高額な先進医療とその保険制度について質疑応答がありました。
情報量の多い講義から、自分の興味のある分野や専攻している分野とのつながりをうまく見出して自らの糧とし、さらに質問を通じて深めていこうとする寮生の姿が見受けられ、各々にとって非常に有意義な先輩ゼミとなったことと思います。
重要なポストで様々なことをしてこられた窪野さんの話は、寮生一人ひとりにとってそれぞれが新たな知見を得る良い機会となりました。貴重な講義をいただいた窪野さんには今一度感謝申し上げます。
令和元年6月29日、22期生の沼田伸二さんをお招きして、「都心の再開発への取り組みについて」との演題で、令和元年度第1回先輩ゼミが行われました。沼田さんは東京大学工学部都市工学科において都市工学を学ばれた後、大成建設株式会社に就職され、日本全国の都市開発に携わってこられました。現在は同社の都市再開発第二部に勤務されておられます。
先輩ゼミでは、ゼネコン開発部門の過去から現在、将来に向けた都市再開発への取り組みを紹介されつつ、時代を画した都市再開発事業の工事受注から設計調整、用地取得、工事着工までの経験談を話していただきました。特に、東京八重洲1丁目北地区の再開発事業に付いて詳細にわたり説明していただき、日本橋川沿いの5地区が連携し、歴史や水辺に配慮したオープンスペースの創出や歩行者ネットワークの形成、日本橋川沿いの連続的な賑わいを如何に創出するかを分かりやすく講義してくださいました。
また、東京霞ヶ関3丁目南地区の再開発においては、中央官庁施設を中心とした街区の再開発事業として、都市再生機構が個人施工者となり、匡が特定建築者となりつつBTO(Build Transfer Operate)方式のPFI(Private Finance Initiative)手法を活用するなど、新たな官民連携事業モデルを示したと言うことを説明いただき、都市の再開発においても官民が連携して事業を行っていく重要性を理解することが出来ました。
今回の講義は、今大学で学んでいる学問が、将来の職場でどのように生かされるのかを認識し、松尾育英会の先輩が都市再開発の分野でも活躍されていることを知る貴重な機会となりました。
令和元年10月26日、58期生の林聖悟さんをお招きして、『インフルエンサーの時代に生きるということ』というテーマで令和元年度第2回先輩ゼミが行われました。林さんは、早稲田大学工学部を卒業後、UUUM株式会社に入社され、現在はディレクターとしてクライアントとの案件動画の調整などを行っておられます。
講義では、まずUUUMがユーチューバーを利用してどのような事業を展開しているのか、その事業に欠かせないユーチューバーとはどのような存在なのかを説明していただき、その後、UUUMのようなユーチューバー(クリエイター)を抱える会社の社員の主な仕事として、ユーチューバーの収益等の管理、クライアントからの案件動画のユーチューバーへの提供、動画の調整があると説明されました。
その後、インフルエンサーの時代に生きるとはどういうことか、そしてその時代に生きる私たちに必要なこととは何かを説明いただきました。かつての限られたメディアとは異なり、誰もが様々な、自らの希望する情報のみを取得できる今だからこそ、情報の画一化のメリット・デメリットを理解し、そのような情報に流されることなく生活していくことが大切になると力説されました。
最後に林さん自身の寮生活を振り返って感じた寮生活と社会生活のつながりについてお話していただきました。現在寮生が何気なく行っている寮規で定められた時間での起床・門限の厳守は、取引先との待ち合わせや会議の時刻を守ることと同じです。部屋の清掃ができないことは、決められたことを自発的にできないことと同じです。委員会業務の引継ぎや、寮生活での割り振られた役割の遂行は会社での業務の引継ぎ、割り当てられた仕事の手はずを整えることと同義です。寮生活でもそうですが、これらのことができないと社会からの信頼を失うことになります。寮生活での規則やルールは、実社会での生活に密接にリンクしています。だからこそ、そのルールがどうして必要なのかを自分で考え、失敗しても寮内で収束する寮生活の中でミスを軌道修正する方法を身に付け、社会に出ても通用するように自分を磨くことの必要性、重要性を教えていただきました。
持前のユーモアを交えつつ、ユーチューブなどに詳しくない人でもわかるように、実際ご自身が制作に携わった動画や、自身の寮生活など数多くの具体例を用いて非常にわかりやすく説明していただきました。メディアの進化により、限られたコンテンツから情報を選択する受動的な社会から、大量の情報の中から自分で自由に選択することのできる能動的な社会へと変化した現代だからこそ、規範意識や情報リテラシーが重要だという、今を生きる私たちにとって非常に有意義なお話をしてくださいました。
令和3年6月26日、41期生の是川夕さんをお招きして、「日本における移民政策の可能性と展望」というテーマで令和3年度第1回先輩ゼミが行われました。是川さんは、東京大学文学部を卒業後、同大学院の修士課程を修了され、2003年に内閣府に採用、留学等を経て2012年に国立社会保障・人口問題研究所に移籍され、現在は同研究所の国際関係部長として研究者としての道を歩まれているそうです。
今回のゼミでは ①職業としての社会科学者とはなにか ②日本における移民政策の可能性と展望 ③プロフェッショナルになるにはどうすればよいか、という3点についてお話をいただきました。まず①については、日本の社会科学者の研究・政策立案に対するウエートの低さを指摘され、さらに内閣府での経験を踏まえて、社会科学者とは帰納的な推論を駆使する重要性についてもお話してくださいました。次に②について、日本の移民政策をグローバルな位置づけの中でお話くださり、データに基づいて逆説的な結論、則ち日本の移民政策は開放的なものであると導いておられました。最後に③について、グローバル化する現代社会を生き抜く上で学位が重要であると仰っていました。また、各年代における目標について、是川さん自身の考えも披露して頂き、これから社会に出ていく我々寮生にとって非常に有益なお話でした。
講義後の質疑応答に対しても、的確かつ丁寧にご回答頂き、移民政策やキャリアパスについての理解が深まった寮生も多かったのではないかと思います。
令和3年11月27日、47期生の藤真健司さんと林裕之をお招きして、藤真さんから「サラリーマンと学生の違い。会社に溶け込むために必要な事、できた方が良い事」というテーマ、林さんから「コンサルタントとは?」というテーマで令和3年度第2回先輩ゼミが行われました。
藤真さんは、東京都立大学を卒業後、2007年にトレーディア株式会社に入社、2011年に三菱自動車工業株式会社に転職し、2014年からミネベアミツミ株式会社に転職した後、現在では機械の製造ライン投資・導入に伴う申請内容を審査及び投資承認後に設備導入から量産までの統括管理をされています。
今回のゼミでは ①物流業界や自動車・機械業界で体験したこと ②学生からサラリーマンになるまでに身につけておくべきこと③社会における人付き合いという3点についてお話をいただきました。まず①については、藤真さんご自身がこれまで経験された各業界でのメインの業務内容について話してくださいました。次に②について、社会に出た際に良いスタートダッシュをするためには、基礎的なPCスキル、語学力、社交性および行動力が重要だということを教えていただきました。最後に③について、社会に出た後の他人との関わり方について、仕事上の付き合いと個人の付き合いの使い分けの大切さについて話してくださいました。これから社会に出ていく我々寮生にとって非常に有益なお話でした。
講義後の質疑応答に対しても、的確かつ丁寧にご回答頂き、転職に関することや学生時代に身につけておくべきスキルに関する理解が深まった寮生も多かったのではないかと思います。
林さんは、東京大学工学部を卒業後、同大学院の修了過程を修了され、2009年にアクセンチュア株式会社に入社、2015年に株式会社野村総合研究所に転職し、現在に至るまでに消費者分析、マーケティングを中心に、大小様々なプロジェクトを経験されています。
今回のゼミでは ①コンサルタントとは何か ②なぜコンサルタントになったのか ③なぜコンサルタントが必要なのかという3点についてお話をいただきました。まず①については、コンサルタントの意味をアクセンチュア株式会社、株式会社野村総合研究所での経験を踏まえて、大変わかりやすく説明してくださいました。次に②について、学生時代のインターンシップの体験談やご自身の社会貢献に対する考えを織り交ぜながら、お話ししていただきました。最後に③について、コンサルタントの所有している膨大なデータベースと経験値の重要性についてお話ししていただきました。また、就職や転職といった大きな選択をした際の当時の考えや葛藤をお話ししていただき、これから社会に出ていく我々寮生にとって非常に有益なお話でした。講義後の質疑応答に対しても、的確かつ丁寧にご回答頂き、自分の進路を考える上で大変参考になった寮生も多かったのではないかと思います。
※本文は松英通信を参考に掲載しています。一部しか掲載できず申し訳ありません。
令和4年度6月25日、51期の山内絢人さんより、「地域の可能性を事業化し、次の時代の豊かな社会を築く」のテーマの下、先輩ゼミを行って頂きました。山内さんは東京大学を卒業後、財務省へ入庁。「事業家として、自らリスクを取ってやり抜くことでこそ社会を良くできる」との思いから退官し、起業・独立。日本の地方にこそ今後の日本の可能性があるとの思いから、地方創生関連の事業として行う(株)Global Innovation Holdingsを創業、現在も実業家として、我が国の地方創生産業への多大な貢献をなさっています。
ゼミのなかでは山内さんが携わる、千葉県いすみ市でのツーリズム事業による地域課題解決、中核人材の育成・連携の取組に加え、日本が世界に誇る各地の自然豊かな国立・国定公園の有効な活用を目指す「ナショナル・みどりプロジェクト」等の詳細な解説をして頂き、我が国の地方に眠る観光事業の可能性を再確認しました。山内さんは「いつの時代も、社会を前進させてきたのは、事業を興す事業家であり、今の日本にはより多くの事業化こそ必要であって、事業を成すことこそがこれまで育ててくれた社会に対する最良の恩返しである」という強い思いを持ち、事業に取り組んでいらっしゃいます。既存の社会システムや既成概念に捉われない、高い志こそが社会に求められていることを学びました。
令和4年度10月29日、39期の中村慎二さんより、「大手法律事務所の弁護士とは?」のテーマの下、先輩ゼミを行なって頂きました。中村さんは東京大学在学中に司法試験(当時)に合格、同学法学部を卒業後、アンダーソン・毛利・常長法律事務所に入所されました。その後は公認会計士の資格も取得したことから、会計・税務を軸とした企業法務や証券業務関連を専門としてご活躍されています。
ゼミのなかでは、大小異なる事業規模の弁護士事務所が国内にありながら、「五大」とされる大手事務所で働くことを選んだ理由、その中で感じた強みや経験をお話し頂けました。組織が抱える人の数の多さから、「何でも」「誰かが」知っている刺激の多い環境や多様な価値観を尊重できる風土、一部分野や国内に捉われない案件の多様性など、大手企業主体の持つ特徴は、法律に明るくない者にとっても非常に興味深い内容でした。また、弁護士資格と公認会計士資格の両方を取得し、その後も日本アクチュアリー試験にも合格した経験から、専門に拘らず、多様なフィールドに挑戦することの重要性について語っていただき、育英生の学問への熱意を強く奮い立たせる時間となりました。質疑応答では10人近くの質問にも丁寧に答えて頂きました。
現場で働いている先輩を訪問して、身を持って多くのことを体験する機会も設けています。
Q.立川さんは昔の学生寮の生活を振り返って、どう感じていらっしゃいますか。
あの当時(昭和33年入寮)は、大学の寮などは大変古いもので、すべて相部屋でしたが、松尾育英会の寮は新築したばかりで、かつ個室でした。今の人に言ってもピンとこないと思うんですが、当時の日本の状況から見ると、松尾学生寮は大変立派だったわけです。いい環境で勉強させてもらった。その反面、寮生活は大変厳しかった 。僕なんか2期生だったが、1期生はもっと大変だったみたい。育英会の創世時代だったから、大変厳しかったが、我々の要求で大分自由を勝ちとった面もありますよ。
Q.また、寮生活が 立川さんの現在に影響を与えたことはなんでしょうか。
寮生活というより、育英会の精神を引き継いでいるつもりです。「個人で受けた恩 を社会に還元するように」というのが松尾育英会の基本精神だと理解しているんです 。だから社会に出てから、会社の仕事の中でもそういう精神でいきたいと思って来ました。幸い私の仕事(電話事業)は、ほとんどの国民に利用していただくサービスで すから、日常のより良い実践が、社会還元の一つであろうと思ってやってきました。 寮生活の影響ですが、いろいろな人と共同生活したことが非常によかったことですね。大学の寮に入っちゃうと、まわりは皆同じ大学の人ばかりですが、育英会の場合は、国立もいるし私立大学もいるし、文科系もいるし、理科系もいるということで、そうしたミックスの中で生活できたということです。お陰で僕なんかは理科系だったんですが、政治経済にも興味を持つようになりました。会社に入ってからも、ビジネススクールへ行ったり、法律に係わる仕事もやるようになりました。そういう意味で寮生活で幅広い視野を持てたことがよかったのではないでしょうか。
Q.育英会のホ ームページの作成についてどういう点に配慮したらよいのでしょか。
audienceを考えて、audienceが魅力と思うように作ってもらいたい。どのホームペ ージを見ても、発信者がわの発想で作り過ぎている。だから会社のホームページなんかは、会社の概要だとか、役員の顔とか、そんなのばかり出てきてちっとも面白くないということになる。育英会のホームぺージの場合、育英会の概要、精神、活動状況 、あるいは募集要項などは、最低限必要でしょうが、それ以外については、委員の方々でよく考えて、見る方の身になって作って頂ければと思います。
Q.松尾育英会 は平成9年に40周年を迎えましたが、これからの学生寮での寮生のあり方についてどう考えていらっしゃいま すか。
まず寮生が自分で自分たちはどうしたら良いかを考えることですね。ルール等も時代に合わせて変えていかなきゃならないでしょう。昔のとおりが良いということではなく、育英会の基本精神や基本哲学はちゃんと押さえておいて、どうしたら今の時点で一番いいのかを考えるべきだろうと思っています。40年前と比べて現在はどうなっているのかと反省することも必要なことだと思います。育英会の理念だって時代と共に変わるでしょう。現在の理念の下でどうしたらいいのかを考えてもらいたいですね。
Q.NTTに入社 されてから今まで印象の深かったことについて
NTT生活もずいぶん長くなりました。僕は電電公社に入ったんですが、11年前に民営化といって、民間会社になりました。競争導入です。これは大変大きい変化でした。それは予想外に電気通信が進歩したせいであって、入社した当時はこんなになるとは思っても見ませんでした。企業も30年も経つと大きく変わる可能性があるということですね。だからこれは予断になりますが、入社するときにどのような会社を選ぶかは、あまり目先の格好良さで選ぶといけないということになりますね。
Q.立川さんが 仕事で一番やりがいはどういうことでしょか。また、一番苦労なさったと思ったことは何でしょか。
NTTのなかでいろんな仕事をやりましたが、それぞれの職場で最善を尽くした結 果、いろいろな成果を残せたことでしょうか。とくに将来を展望したビジョン作りを 2度やりましたが、会社の方向を決めえたことはやりがいがあったと言えるでしょう。NTTはかなり自由な会社の一つだったと思うんですが、いいたいことを言えるし、発想も自由でした。そういう意味では会社で苦労したという記憶はあまりありませんね。働くときは家庭をかなり犠牲にしてよく働きました。こういうのを苦労というのかどうかは別として、一例をいえば、本社の課長補佐時代には家に帰るのは毎日午前2時、3時で、朝は9時には出勤しました。そういう生活もありましたが、それも一つのステップで、かえって働きがいを持っていたとも言えるでしょうね。それは重要な仕事をやっているという自負があったから耐えられたのかも知れませんが。今となってみると想い出の一つですね。