行事紹介

令和6年度 秋旅行

2024年1月1日16時10分。宮城県の実家に家族が集まり、いつもより少し豪華な食事を囲み、少し早くにお酒を飲み始め、楽しく語らいながら新年を祝っている最中のことであった。スマホが一斉に不穏な音と共に緊急地震速報を知らせ、数秒前まで正月特番を映していたテレビには、突然石川県能登半島の映像が映し出された。令和6年能登半島地震である。特に、発生直後に広い地域で津波警報が発令される様子からは、2011年の「あの日」が思い出され、なんだか悪い夢を見ているようだった。地震発生から、まもなく1年が経過しようとしている。9月には大雨の被害にも見舞われた。復旧作業がなかなか進まず、現在もなお災害の爪痕が残る能登の様子を写真や映像で見るたびに本当に心が痛む。

「今、私たちにできることは一体何なのだろう」と何度も考えた。普段の寮生活での何気ない会話の中で、寮生間でさえ東日本大震災についての記憶や認識の程度にギャップがあることに驚かされることが多々あったことを思い出した。それもそのはずであり、現在の寮生は、多くが関西圏の出身である。さらには、モンゴルという異国から来ている寮生もいる。年齢についても、私が震災発生時に小学1年生であったので、寮生の半分以上は未就学児の頃に震災を経験したことになり、鮮明な記憶がある者は多くはない。だとすれば、今、私たちにできることは、何よりもまず「知る」ことだろう。そこで、東北・宮城県出身であり、当時を語ることができる「最後の」世代である私が、今年度の秋旅行を通じて、橋渡し役となることで、寮生に防災や復興について少しでも考えてほしいと思った。

1日目には岩手県の陸前高田とそこにある東日本大震災津波伝承館を訪問した。車や家屋を飲み込みながら押し寄せてくる津波の映像や被災者の証言、津波の力で真二つに折れ、ぐにゃりと曲がった鉄橋などの実物を目にして、それまでバス内では楽しそうに話していた寮生も言葉を失っていた。その後、隣接する復興記念公園内を全員で歩き、町を襲った海が見える堤防から「奇跡の一本松」にかけて巡った。「奇跡の一本松」を見ていた際に、時刻はちょうど震災が発生した14時46分になり、参加者全員で黙祷を捧げた。真剣な表情で、ただひたすらに黙祷する寮生の姿を見て、各々がこの地で大切なことを学ぶことができたのだと確信することができた。

2日目には、宮城県は南三陸のさんさん商店街と松島を訪れた。さんさん商店街とは、津波の被害を受けた店舗が集まり、震災発生の1年後である2012年にオープンした仮設商店街が2017年に本設化したものだ。復興のシンボル、拠点として観光客だけでなく、地元の人々にとっても特別な場所である。日本三景として名高い松島も、震災による大きな被害を受けた。今では多くの観光客で賑わう日本有数の観光名所も、2011年3月11日から、大きな困難を乗り越えてきた場所なのである。私が2日目を通じて伝えたかったのは、「人間の強さ」である。大きな自然災害が起こるたびに、私たちは人間の無力さを思い知らされる。しかし、いや、だからこそ、人々は手を取り合い、明日を笑って生きようとしてきた。例え津波が全てを流しても、人はまたそこに町を作る。こうした力の強さは、自然の力にも匹敵するほどだといつも思う。13前には何もなくなってしまった場所で、美味しいご飯が食べられる、綺麗な街並みを歩くことができる、観光を楽しむことができる。そんな事実に、被災地とそこに住む人々の弱さだけでなく、強さについても感じることができたはずだ。

今年の秋旅行は、少々重い主題を取り扱いすぎたのかもしれない。寮生はすぐに消化し切ることはできないかもしれないが、それがこの先の人生に、心に一生刻まれるような経験になれたなら、幹事としてこれ以上に嬉しいことはない。災害について、知り、共感し、語り継いでいくことこそが最大の防災であり、復興の力であると、私は信じて疑わない。